山崎育三郎の本名・年齢・身長・出身ほかプロフィールとデビュー当時の話

プロフィール

この記事は山崎育三郎さんの基本プロフィール(本名、身長、年齢、生年月日、血液型、出身地)とデビュー当時のエピソードを紹介しています。

 

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山崎育三郎の本名・年齢・身長・血液型・出身地

山崎育三郎さんの基本プロフィールの内容を詳しく見てみましょう!

山崎育三郎の本名

山崎育三郎さんの名前は本名です。読み方は「やまざきいくさぶろう」さんです。

2016年、クイズ番組 ぴったんこカンカン”に出演した際、すこやかに育つようにと育三郎と名付けられたことを明かしています。参照:https://okmusic.jp/news/113408

 

山崎育三郎の生年月日・年齢

山崎育三郎さんは1986年1月18日生まれの38歳です。

同い年には小池徹平さん・亀梨和也さん・イモトアヤコさんなどがいます。

 

 

 

山崎育三郎の身長・体重

山崎育三郎さんの身長は177cmです。体重は非公表です。

 

 

 

★身長177cmの芸能人一覧★

身長177cmの芸能人一覧
身長177cmの芸能人の一覧です。こちらの一覧表にまだ載っていない芸能人は随時追加していきます。引退してタレント活動をしている元スポーツ選手やアナウンサーなどもここでは芸能人として扱っています。

山崎育三郎の血液型

山崎育三郎さんの血液型はA型です。

 

山崎育三郎の出身地

山崎育三郎さんの出身地は東京都です。

東京都の出身には櫻井翔さん・石原さとみさん・アンジャッシュの児嶋一哉さんなどがいます。

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山崎育三郎の芸能界デビューについて

山崎育三郎さんの芸能界デビューのきっかけとなったエピソードやデビュー作品を紹介します。

山崎育三郎の芸能界デビューのきっかけ

サラリーマン家庭で、男ばかり4人兄弟の三男として生まれた山崎育三郎さん。
引っ込み思案で人見知り、いつもお母さんの後ろに隠れているような甘えん坊さんだったそう。

そんな山崎育三郎さんが初めてミュージカルを目にしたのは幼稚園の時。

音楽教師をされていたお母さんが、青山劇場に4人のこどもたちを連れて毎年『アニー』を見に行くのが山崎家の恒例行事でした。

自分とほぼ年の変わらない子たちが、ステージの上で生き生きと活躍する姿を、ただうらやましく見つめるだけだったという山崎育三郎さんでしたが、買ってもらったCDを何度も何度も聴いて耳で覚えてしまいました。

幼いころから音感が良かったのでしょうね。
後半に収録されていたカラオケに合わせて、自分でも歌っていたそうです。

「声がいい。音もしっかりとれている。」

おとなし過ぎる三男をいつも気にかけていたお母さん、山崎育三郎さんの歌声をきいて
「自信をつけさせるきっかけになるかも」と歌のレッスンに通わせてくれたのです。

すると、ほどなく彼の才能は目覚め始めました。

11歳のときには『七つの子』で、全国童謡コンクール審査員特別賞を受賞しています。

6年生の時に教室の指導者の勧めで、小椋佳さんが企画を務める『アルゴミュージカル』(※キャストのほぼ全員が子供)のオーディションを受けます。

ダンスも未経験、いっしょに受けた他の子どもたちの中で自分が一番出来ていなかったと振り返る山崎育三郎さんですが、結果は3000人の応募者の中からみごと合格。
翌年にはミュージカル『フラワー』の主役に抜擢されます。

稽古が半年くらいあって、子どもなので吸収も早かったから、初日までにはある程度形になっていたんじゃないかな。引用:https://www.oricon.co.jp/special/55181/

実は、小学校の6年間を通じて野球少年でもあった山崎育三郎さん。

引用:https://natalie.mu/stage/column/523674

全国でもベスト8に入る強豪チームでキャプテンもつとめ、真剣に取り組んでいたのですが、アルゴミュージカルの合格にともない、野球の監督から「どちらかにしなさい」と選択を迫られます。

そのときはもうオーディションに受かって出演が決まっていたので、野球はやめざるを得なかったんです。引用:https://www.oricon.co.jp/special/55181/

さてオーディションに合格して本格的にレッスンが始まると、その厳しさと初めて知る世界の広さに、少年の心にはまた新しい悩みが生まれてきます。

「女の子は宝塚、男の子は劇団四季」

歌うことが何より好きで、その世界の扉を開けたばかりの山崎少年。
かいま見た事によって、さらにミュージカル俳優へのあこがれは募るも、12歳の彼にはそんな選択肢しか思い浮びませんでした。
自力ではどうしても将来への道が描けず、途方に暮れていたという山崎育三郎さん。

当時をふりかえって彼は、すでにミュージカルスターとして輝いていた少し年上の先輩たちの存在がありがたかった、と語っています。

将来、ミュージカルで生きて行くためにはどんな道があるのか、山崎少年の悩みに心からのアドバイスを送ってくれたそうです。
そんな環境が本当にうれしかったとか。

アートスフィア(現・天王洲 銀河劇場)で初日を迎えたとき、全身鳥肌が立つくらい感動しました。将来もミュージカルをやっていきたいと思った瞬間でしたね。

生まれて初めての本格ミュージカル『フラワー』で、主役として浴びた初日の拍手とカーテンコール。
体が震えるほどの感動に包まれて、山崎育三郎さんは「この世界で生きていく!」と決心したのでした。

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山崎育三郎のデビュー当時の作品

山崎育三郎さんのデビュー作品(主に役者としてのデビュー作)を紹介します。

山崎育三郎のドラマデビュー作品:六番目の小夜子(2000)

子役としてのドラマデビューは2000年の『六番目の小夜子』加藤彰彦役です。

しかしここではあえて、ミュージカル俳優としての地位を確実にした後の山崎育三郎さんがチャレンジした新しい形として、彼自身も思い入れ深く、視聴者の注目度も高かった『下町ロケット』(2016)を紹介させてください。

『下町ロケット』は池井戸潤さんの小説を原作としたテレビドラマです。

宇宙科学開発機構の研究員という過去をもつ主人公が、亡き父の残した下町の小さな会社「佃製作所」の社長になり、町工場の技術を生かして大企業とわたり合い、社員たちといっしょに奮闘する姿を描いて大ヒットとなりました。

山崎育三郎さんは、佃製作所の元社員でエンジニアの真野賢作を演じています。
社長(阿部寛さん)の方針に不満をもち、ある事件を起こして佃製作所を去りますが、のちに心を入れ替えて一度は裏切った仲間に謝罪し、協力を願い出ます。

実は出演時、30歳目前だった山崎育三郎さん。

「ミュージカルというジャンルをもっと知ってほしい。役者としての幅を広げたい」

引用:https://www.oricon.co.jp/news/2062334/full/

そのために、次に自分にできる事はなにか、、。

模索していた時期に、ミュージカル界の大先輩・石丸幹二さんが出演していたドラマ『半沢直樹』のプロデューサーの目に留まりテレビドラマへの出演が決まったのだそう。

舞台とドラマ、勝手がちがって苦労もあったようです。

短時間で覚えた長いセリフが、撮影時いきなり変更になったり、舞台映えする大きな演技がテレビでは大げさ過ぎて見えてしまったり。。

膨大なセリフを短時間で覚えて一気に詰め込んでいく必要があるので、それは大変ですね
引用:https://www.oricon.co.jp/news/2062334/full/

ミュージカル界ではすでに “プリンス”と呼ばれていた山崎育三郎さんですが、このドラマではそんなイメージをがらりと変えています。

王子様のコスチュームを脱ぎ捨て、町工場の作業着に身を包み、ヒゲも生やしました。
この変化にミュージカルファンの間からは様様な声が聞かれました。

地方ロケで、ファンの方から「下町ロケットの真野さん!」と声をかけられて、ドラマの反響に驚いたとも語っていました。

山崎育三郎の映画デビュー作品:夏休みのような一か月(2008)

サイクル便のメッセンジャー・純也(荒木宏文さん)と、デザイン会社で働くサラリーマン・真太郎(山崎育三郎さん)。
真太郎が原因で事故にあい、入院するはめになった純也。

ケガが治るまでの一か月、わずかな時間の中でふたりの間には不思議な友情が芽生えるのですが、思いもよらぬ事態が待っていました。。。

 

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山崎育三郎の家族

山崎育三郎さんの家族構成は父親、母親、兄ふたり、山崎育三郎さん、弟の6人家族です。

山崎育三郎さんの家族にまつわるエピソードはこちらの記事(↓)に詳しく書いています。

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山崎育三郎の学歴

山崎育三郎さんの学歴は東邦音楽大学付属東邦高等学校 卒業です。

山崎育三郎さんの学歴や学生時代のエピソードはこちらの記事(↓)に詳しく書いています。

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まとめ:山崎育三郎のプロフィール

山崎育三郎さんのプロフィール情報を一覧にまとめました。

名前(読み方) 山崎育三郎(やまざきいくさぶろう)
本名(読み方) 山崎育三郎(やまざきいくさぶろう)
生年月日(年齢) 1986年1月18日(38歳)
出身 東京都
身長/体重 177cm/非公表
血液型 A型
趣味・特技 料理・野球・ゴルフ
学歴 東邦音楽大学付属東邦高等学校 卒業
所属事務所 研音

 

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