山崎育三郎の父親・母親・兄弟の家族エピソード!過去にヤングケアラーも経験

家族

この記事は山崎育三郎さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。

山崎育三郎さんは、アメリカ留学から帰国した2003年から2006年にかけて、父方の祖父母をひとりで介護されていた時期があります。

それまではお母さんが介護を続けておられたそうですが、山崎育三郎さんの留学中にご両親は離婚。
お母さんは実家へ戻り、お父さんは単身赴任で北海道に。
他の兄弟たちも皆、寮生活や留学中でした。
祖父母の面倒をみられるのは17歳の彼ひとりだったのです。

祖父は認知症、祖母は右半身不随で車いすが欠かせない状態だったそう。

17歳の高校生が、たったひとりでする介護のつらさは、想像に余りあります。

しんどい時期、“何で自分が見なきゃいけないんだ”と思ったこともあるし、おじいちゃんおばあちゃんに対してあまり良くない言葉をかけたこともある

引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/15/kiji/20220415s00041000529000c.html

そんな山崎育三郎さんを介護・精神ともに支えてくれたのは、親愛をこめて彼が“山崎軍団”と呼ぶ、中学時代からのふたりの親友だったとか。

山崎育三郎さんの代わりに祖父母の送迎に付き添ったり、食事・買い物も手伝ってくれました。
時には祖父母もいっしょにワイワイと鍋をつついたり、楽しい時間を作ってくれたりもしたそう。

やっぱりしんどかったんだけど、でもそれを笑いで…じゃないですけれど、2人が来ることでいつもの友達といるノリになれた瞬間というのが一番自分にとっては励まされたし。彼らの存在で乗り越えられたことがたくさんあって、ほんとに感謝していますね、2人には。

引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/15/kiji/20220415s00041000529000c.html

学歴にも、家族の項にも当てはまらないかもしれませんが、ヤングケアラーとして過ごした時間があったことも、人間としての山崎育三郎さんを形作った大事な要素ではないかと考え、ここにご紹介しました。

 

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山崎育三郎の家族構成(父母・兄弟姉妹)

山崎育三郎さんの家族構成は父、母、兄ふたり、山崎育三郎さん、弟の6人家族です。

山崎育三郎の父親

山崎育三郎さんのお父さんは、一般の方で顔も名前も非公表です。

日本を代表する鉄鋼会社・新日本製鉄(新日鐵)に勤めておられたそうです。
転勤も多かったようで、幼い頃に家族で北九州市に住んでいたことを、山崎育三郎さんがある対談で明かしています。
参照:https://withonline.jp/people/hanautamajiri/iS4oN

4人兄弟全員が海外留学している事実から推察すると、お父さんは大企業・新日鐵の中で管理職を長く勤めておられたのではないでしょうか。

「たくさんの本を読むか、たくさんの人と語り合う。人生を豊かにするのはそのどちらかだ」と言われた言葉が、今でも山崎育三郎さんの記憶に強く残っているそうです。

山崎育三郎の母親

山崎育三郎さんのお母さんは、音楽教師をされていたそうです。

ご自身も歌やお芝居などエンターテインメントが大好きな明るい方で、山崎育三郎さんが後にミュージカルの道にすすむきっかけを最初に作ったのも、お母さんでした。

引っ込み思案で人見知りな三男が、ミュージカルのCDを耳コピして見事に歌うのを聞いて、歌の教室に通わせてくれたのです。

前向きで明るい性格から”ミュージカル界のポジティブキング”とも呼ばれる山崎育三郎さん。
参照:https://withonline.jp/people/hanautamajiri/xnNmU?page=2

お母さんは、常に「いつでも応援している」「愛している」と子供たちへの愛情をおおらかに表現してくれたそうで、その影響を下のように語っています。

僕は幼いころに母が愛情を言葉にしてくれたから自己肯定感が上がったと思っているし、何か起きたときもネガティブになったり、わけもなく不安になったりしにくい。

引用:https://mamari.jp/37856

冒頭にも書きましたが、お母さんは離婚までの十数年間ほとんど独りで義理の父母(婚家の舅・姑)の介護をされていました。

お父さんは単身赴任で不在の中、4人の男の子を育てながらの介護ですから、そのつらさは想像を絶するものだったのでは。。。

心身ともに疲れ果て、留学先の山崎育三郎さんに「もうダメかも」と連絡してきたこともあったそう。

山崎育三郎さんが、17歳ながら祖父母の介護を決意した根底には、幼い頃から「戦争のような」お母さんの苦労をずっと見ていたこともあったようです。参照:https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c

37歳の誕生日には、お母さんへの感謝をこめて、自身の幼い姿をインスタグラムに投稿した山崎育三郎さんでした。

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山崎育三郎の一番目の兄

山崎家の長男は、1981年生まれの祐一郎さん。

引用:https://metaps.com/ja/company/

3歳からピアノを習っていたそう。
お顔、山崎育三郎さんに似てますね。

私立桐蔭学園高等学校を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校に留学、経済学を修めています。
卒業後はドイツ証券投資銀行に勤めていましたが、日本に帰国。
京都大学経営管理大学院を卒業後、2007年にIT企業・株式会社メタップスを設立。
現在まで代表取締役社長を務めています。

起業する前には、大学院時代に衆議院議員秘書をされていた時期もあるようです。

あまりにも輝かしい経歴、起業家のお手本みたい。

本当に優秀な方ですね!

山崎育三郎の二番目の兄

山崎家の4兄弟、次男は1983年生まれ。
名前は山崎令次郎さん。

引用:https://jonetu-ceo.com/2014/07/21905/

彼も3才からバイオリンを習っていたそうで、のちに弟の育三郎さんが音楽大学に進んだことも含め、音楽を身近に感じていたそうです。

都立小山台高等学校卒業後、小学生から続けていたラグビーを極めるために本場ニュージーランドへ。
ユースチームで2年間活躍しました。

帰国のタイミングで、知人からある製品を日本で販売してくれないかと頼まれたのがきっかけで23歳で起業しています。

元々、どこかの企業に就職し
組織のなかに入って仕事をする気がなかった私がイメージできる将来像は、
自分のしたいことを自分で手掛けて実現していく姿だけでした。

引用:https://jonetu-ceo.com/2014/07/21905/

2006年に株式会社アールキューブを設立。
当初は音楽家のイベント派遣を主に手掛けていましたが、現在はウエディング関連の事業へと業態が変化しています。

長男・祐一郎さんに負けず劣らず頭脳明晰な方。

山田孝之さんとも親交があるようです。

参照:https://post.tv-asahi.co.jp/post-152035/

山崎育三郎の弟

山崎家の四男、厚四郎さんは1987年生まれ。

幼い頃の4兄弟の写真の中に二番目のお兄さんに支えられて山崎厚四郎さんの姿がありますね。
1歳くらいでしょうか。

ちなみに山崎育三郎さんは右端のおかっぱさんです。

引用:https://natalie.mu/stage/column/523674

そして大人になった厚四郎さんがこちら。

引用:https://miel-donut.com/yamazakiikusaburo-brothers/

育三郎さんがアメリカ留学から帰国した時は、香川県の尽誠学園高等学校で野球部員として寮生活をおくっていました。

尽誠学園高等学校は甲子園など全国大会に17回も出場している野球強豪校であり、また京都大学など難関大学への進学率も高い、文武両道の学校として知られています。
参照:https://www.hb-nippon.com/schoolinfo/3907/tournament

高校卒業後は、アメリカの大学に進学しています。

その後、次男の令次郎さんが社長をつとめる会社で、ウエディングプランナーをされていたようです。
その後カメラブ株式会社を経て、直近では株式会社グッドフードデザインという会社の代表取締役をされています。

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山崎育三郎の実家

広い敷地に豊かな森があり、庭にブランコやピザ窯があって、あひるやヤギが遊んでいる、、引退したハリウッドスターがこんな田舎生活をおくる動画が、インスタのストーリーズには時々上がってくることがあります。

実は冒頭のピザ窯や広い敷地は、岡山県にある山崎育三郎さんの母方の実家のようすです。

2016年放送の「メレンゲの気持ち」で山崎育三郎さんが紹介したことから、「実家はかなり裕福」説がささやかれています。

お母さんの実家がお金持ちかはともかく、広大な土地にあることは確かなようです。

引用:https://note.com/ichigo_bb/n/n5dfd962d73a7

父方の祖父母もいっしょに暮らしていた頃は、8人家族が高級住宅地として知られる港区高輪に住み、お父さんは日本有数の大企業にお勤めでした。
4人兄弟が全員海外留学を経験されていますし、少なくともお金に困るような生活ではなかったようですね。

ミュージカル界のプリンスの生家ですから、お城とまではいかなくても、ファンとしてはやはりあたたかく夢のある環境だったと思わせて欲しいところです。

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まとめ:山崎育三郎の家族

  • 山崎育三郎さんのお父さんは一流企業の忙しいサラリーマンでした。
  • 山崎育三郎さんのお母さんは子供たちに音楽の楽しさを教えた愛情あふれる方です。
  • 山崎育三郎さんの一番目の兄は成績優秀、IT企業の社長さんです。
  • 山崎育三郎さんの二番目の兄は起業して、ウエディング関連の会社を経営しています。
  • 山崎育三郎さんの弟はプロ野球を目指していましたが、その道には進まなかったようです。
  • 山崎育三郎さんの実家は王子様にふさわしい、裕福なおうちでは?ともっぱらの評判です。

介護も経験しましたが、笑いにあふれた大家族だったという山崎家。
男ばかり4人の兄弟だとどうしても考え方は体育会系になり、だいたいは気合いでどうにかなると思っていると笑う、プリンス山崎育三郎さんなのでした。参照:https://kyodo-osaka.co.jp/kep_online/detail/371

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