山本耕史の大学・高校・中学の学歴情報!思ったより充実してた学生時代

学歴

この記事は山本耕史さんの学歴情報(中学・高校・大学)と学生時代のエピソードを紹介しています。

赤ちゃんのころから芸能界にいた山本耕史さん。
純粋に学生時代を楽しんだ時期なんてなかったのでは?と、ちょっと先入観を持って調べてみました。
意外にも中学・高校ではバスケやバンドに打ち込み、アルバイトまでやってたんです。
さて、どんな学生だったんでしょう。

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山本耕史の大学

山本耕史さんは大学に進学していません。
高校卒業後は芸能活動に専念されています。

一般に大学時代にあたる1995年から1999年くらいまでの主な活動をピックアップしてみましょう。
まず1995年には、『さんかくはぁと』で連ドラ初主演。

ハレンチ過ぎて再放送難しい『さんかくはぁと』なんてツイートを見つけましたよ。
18歳だった山本耕史さんは男子高校生と女性の二役で、毎度の女装も人気でした。
永作博美さん、山本太郎さんも出てますね。

翌1996年は声優としてアニメ『花より男子』で花沢類役を務めています。
そう、山本耕史さん、声もすごくいいんですよね。

次の年の夏には、シンガーソングライターとしてCD『IMAGINE』をリリースしました。
ギターも自ら弾いています。
2枚目なんかメイクしちゃって、完全ビジュアル系です。

引用:https://www.suruga-ya.jp/product/detail/250032269


引用:https://www.suruga-ya.jp/product/detail/250034045

そして1998年には、いまや山本耕史さんの活動の大きな軸となるブロードウェイ・ミュージカル『RENT』がはじまります。

世界中で愛されるミュージカルの日本初公演で主演のマークを演じ切り、高い評価を得ました。
この舞台をきっかけに、海外への興味もわいてきたと言います。

歌、踊り、芝居を求められ、「これこそやるべきことだ」と思った。その反動で、どんな仕事も物足りなくなった。「歌も芝居もやれるんだぜ、なんて日本で言っていてもしょうがない」
参照:朝日新聞globe2013年2月3日 breakthrough突破する力 山本耕史

彼の熱意に意気を感じたお笑い芸人でタレントのパックン(パトリック・ハーランさん)に英語を叩き込まれ、3か月ほどニューヨークで暮らしながらオーディションを受けにいきました。
が、アジア人にはアジア人の役しか与えられないなど、過酷な現実を目の当たりにします。

すべてを投げ捨てて飛び込むのはかっこいいようで、日本の仕事を放り出す無責任さもある。向こうで一から始めるより、日本で積み上げてきたものを土台にしていく方がいい
参照:朝日新聞globe2013年2月3日 breakthrough突破する力 山本耕史

そんな風に考えなおし、帰国した山本耕史さんでしたが、ブロードウェイへのあこがれはそれから20数年が経った今も変わらずに持ち続けているようです。

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山本耕史の高校

山本耕史さんは1992年4月に都立代々木高等学校に入学。1995年3月に同校を卒業しています。

学校名 都立代々木高等学校
学科・コース 定時制
偏差値 40
所在地
〒151-0051
東京都渋谷区千駄ケ谷5丁目8−2

都立代々木高等学校は、1957年開校。
午前・午後・夜間の定時制課程で、たくさんの芸能人が通っていました。
『ひとつ屋根の下』で共演した中谷美紀さんも、この学校でひとつ上の学年でした。

しかし惜しくも学校は2004年に閉校。

卒業した高校がなくなるなんて、さびしいですね。
でも、当時の山本耕史さんには仕事することが息をするように当たり前だったようです。

僕にとって俳優であることは日常の一コマのよう。今日は好きな体育だけど、明日は苦手な国語だから嫌だな、ぐらいの感覚で現場へ通っていましたね」
引用:https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/heroes_file/107/

山本耕史さんにとって1993年は、ドラマ『ひとつ屋根の下』で車いすの内向的な少年を演じ、いきなり脚光を浴びた年でもありました。
役柄と素の自分との間でずいぶん葛藤もしたことでしょう。
同年代の俳優が、等身大の青春ドラマに出演するのを横目で見ながら「うらやましい」と感じる反面「自分はアイドルではない」とも感じていたそう。
思春期でもあり、悩みはつきなかったようです。

しかし、時間をみつけては中華料理店でウエイターのアルバイトをするなど、高校生らしい時間も過ごしています。
計2年間ほど働き、バイトの給料で学費を払い、バイクも手に入れたんだとか。

自分の力でそこまでやれる高校生って、なかなかいませんよね。
幼い頃から職業人として扱われるうちに、まわりより少し早く大人になったのかもしれませんね。

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山本耕史の中学校

山本耕史さんは1989年4月に新宿区立大久保中学校に入学。1992年3月に同校を卒業しています。

学校名 新宿区立大久保中学校
偏差値 なし
所在地
〒160-0022
東京都新宿区新宿6丁目15−22

新宿区立大久保中学校は2005年に区立東戸山中学校と統合。
現在は新宿区立新宿中学校になっています。

中学時代、バスケ部に入っていた山本耕史さん。

お父さんに似て運動センスもバツグンで、陸上大会に助っ人をたのまれて出場したことも。
特に走り幅跳びが得意でした。

また1987年にミュージカル『レ・ミゼラブル』で共演した歌手・野口五郎さんからギターをプレゼントされ、それ以来、基礎練習を欠かさなかった山本耕史さん。
すでになんとなく弾けるようにはなっていたのですが、中学時代はまさにバンドブーム。
山本耕史さんもBOØWYに衝撃を受け、入学してすぐ同級生とバンドをはじめたといいます。

御多分に漏れず山本さんも布袋寅泰さんの大ファン。
2年生になると、ギターで曲作りもはじめました。

もともと才能もあったのでしょうが、出会ったものは積極的に取り入れていこうとする姿勢が後にCDデビュー、ひいてはミュージカルにまで繋がっていくんですね。

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まとめ:山本耕史の学歴と学生時代

  • 山本耕史さんは新宿区立大久保中学校を卒業しています。
  • 山本耕史さんは都立代々木高校を卒業しています。
  • 山本耕史さんは大学に進学していません。
    ストイックな役作りなどから、子供の頃からまよわずに俳優一筋に打ち込んできたように思っていました。
    でも最初のミュージカル『RENT』を経験するまでは、まだ芸能界でやり続ける覚悟が決まっていなかったんだそう。
    22歳で出会った作品が、山本耕史さんのその後を大きく変えたんですね。

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