鈴鹿央士の父親の職業が判明!母親や兄弟の家族エピソードも

家族

この記事は鈴鹿央士さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。

これから大注目の俳優・鈴鹿央士さんは、お母さんと交わした合言葉があるんだとか。

その言葉のお陰でこれまでくじけそうになったときも、困難を乗り越えて来られたと言います。

そんな微笑ましい親子のエピソードを紹介します。

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鈴鹿央士の家族構成

鈴鹿央士さんの家族構成は父、母、兄、鈴鹿央士さんの4人家族です。

鈴鹿央士の父親

鈴鹿央士さんのお父さんは、一般の方のため顔も名前も非公開です。

でも、職業は「車の整備士」ということが鈴鹿央士さんの発言からわかっています。

アニメ映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の完成披露試写会で、「今、1番欲しいもの」をたずねられた鈴鹿央士さん。

「整備士だった父親が、昔乗っていた“魔改造”した車があって…」

初めて車を持つなら、お父さんの手でフルカスタムされたその車に乗りたいと話していました。

鈴鹿央士さんは口数も多くなく、あまり男っぽい趣味のイメージがないようにも思うのですが、「フルカスタム」なんて言葉が飛び出すあたり、やっぱり男の子なんですね!

お父さんとはしょっちゅう電話で連絡をとっているようで、「テレビに出てるやん」と朝から電話がくることもあるとか。

お父さんとの仲は良好なようです。

鈴鹿央士の母親

3歳から顔が変わっていないのが悩みという鈴鹿央士さん。

ご本人いわく「母親似」だそう。

お顔・名前とも公表されていないお母さんですが、息子さんの顔から推測するに美人さんなのはまちがいないですね。

おそらく鈴鹿央士さんのお母さんなら、1970年生まれの西田尚美さんくらいの年齢かとも思うんですが、母と息子の間でこんな感じのやりとりが交わされているかも。。。?

鈴鹿央士さんは小学生のころ、お母さんのおさがりの携帯を使っていたことがあるそう。

友だちにはうらやましがられたのでは?

「もうSIMカード抜かれてて、電波なんか入らないのに入ってるマネをしていた」とおとなを気取りたかった当時を振り返っていました。

 

思わぬきっかけから、あれよあれよと言う間にスターになってしまった鈴鹿央士さん。

自身初の写真集『omen~前兆~』発売記念イベントで、波打ち際でカメラマンにのせられてつい上半身脱いでしまい「鍛えてないから引き締まってもいない、割れてもいないただの皮膚」と自らの身体を評した鈴鹿央士さん。

お母さんに見られたら恥ずかしい、もっと鍛えてから撮ってもらえばよかったと報道陣を和ませる一幕もありました。

そんな鈴鹿央士さん、お母さんと幼いころから言い交している合言葉があるといいます。

それは「なんとかなる」

ちいさな心配事が心から消えない時や、ネガティブな気持ちに支配されそうになるとき「マズいかな?」と鈴鹿央士さんがポツリと言うと、必ずお母さんは「なんとかなるでしょ!」と返してくれたそう。

今でも電話で相談事をすると同じように答えてくれるというお母さん。

それを聞くとややこしく考えていた霧が晴れるように「そうか、そうだな。なんとかなる。」と思えて、ほとんどの悩み事は解決してしまうといいます。

「どうせ逃げ道などない」と決めてかかるのと、「道はある。あとは探すだけ」と事に当たるのとでは雲泥の差です。

「声とテンションが低いだけで、姿勢は前向き」と笑う鈴鹿央士さんの、おおらかな性格が形成されたのは多分にお母さんの影響があるようですね。

鈴鹿央士の兄

鈴鹿央士さんには2歳上のお兄さんがいます。
例によって顔も名前も非公表ですが、年の近い男ふたりの兄弟では、さぞにぎやかな子供時代だったのでは?
せまい居間でお兄さんとよくケンカしていたという鈴鹿央士さん、逃げようとして四角いテーブルの角で顔を打ち、今でも眉に切れた痕が残っているそう。

一方お兄さんも、階段を転げ落ちるなどケガばかりしていた兄弟だったと語っています。

兄弟そろって流血し、夜間診療の病院に自家用車で行ったはいいけれど、帰りに今度はいきおいよく閉めた車のドアに小指をはさんでしまい、今出て来たばかりの病院に逆戻りしたこともあるんですって。

お兄さんの影響で同じ高校に進み、同じバドミントン部に所属していたという鈴鹿央士さん。
今でもたびたび連絡をとり合っているようです。

 

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鈴鹿央士の実家

実家のすぐ裏は山、という季節の自然がいっぱいの田舎で育った鈴鹿央士さん。

コンビニにいくだけでも、花や木の成長をみながら楽しく歩いていたそう。

上京後は2年ほど同じ事務所の男性3人で一部屋に住んでいたのですが、建物や人の多さに疲れてしまう時もあったといいます。

心が折れそうになったら、岡山に電話してとにかく誰かに気持ちを話せば、少し肩の荷が軽くなると感じていたそうです。

身近な人に赤ちゃんが産まれたとか聞くと、いいなって思います。
地元では僕の年齢でも結婚する友達もいます。
引用:https://chanto.jp.net/articles/-/1000991?display=b

もしも鈴鹿央士さんがスカウトされず、今でも地元にいたら、、、早くも結婚話が持ち上がっていても不思議じゃなかったかもしれませんね。

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まとめ:鈴鹿央士の家族

  • 鈴鹿央士さんのお父さんは車を魔改造しちゃう整備士さん。
  • 鈴鹿央士さんのお母さんは「なんとかなる」がモットーの楽天家。
  • 鈴鹿央士さんの兄はふたつ年上。子供の頃はケンカばかりでした。
  • 鈴鹿央士さんの実家はコンビニの少ないのどかな岡山の田舎です。

父親は車の整備士で、鈴鹿央士さんは父親が昔乗っていた車を持ちたいとのこと。

このコメントからの彼の男らしい一面を垣間見ることができ、その言葉から彼と父親の深い絆が感じられますね。

母親との関係も非常に良好で、彼が小さい頃からの合言葉「なんとかなる」は、彼の前向きな姿勢を形成する大きな要因となっているようです。

この言葉には母親の愛情や支えが詰まっていることが伝わってきますよね。

また、お兄さんとの関係も深く、子供時代のエピソードから二人の仲の良さや、時折のケンカも含めた楽しい日々を想像できます。

特に、お互いにケガをして病院へ行ったエピソードは、家族の暖かさや彼らの人間味が感じられるエピソードであり、読んでいて微笑ましくなりました。

全体を通して、鈴鹿央士さんの家族愛が強く、彼の性格形成に家族が大きく影響していることが伝わってくるようですね。

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