斎藤工の父親・母親・兄弟の家族情報!みんな個性的な人ばかり?

家族

この記事は斎藤工さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。
両親は世界を股にかけた放浪癖がある?
日本ではめずらしい、あの国の料理を出すお店をやってる?
姉はかなり暴力的女子ですって!?

どんなファミリーなのか、気になりますね!

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斎藤工の家族構成(父母・兄弟姉妹)

斎藤工さんの家族構成は父、母、姉、斎藤工さんの4人家族です。

斎藤工の父親

幼い頃から実家に飾られたウルトラマンや怪獣のソフビ人形に親しんでいた斎藤工さん。

引用:https://www.bilibili.com/video/BV1kW411J7qo/?spm_id_from=333.788.recommend_more_video.0

実はお父さんが青年時代“円谷プロダクション”で『ウルトラマンタロウ』の爆破担当アルバイトをしていたんだそう。
誰でも出来るわけではない、貴重な経験です。

お父さんはこの職歴を『シン・ウルトラマン』(2022)に息子が出演するまで話していなかったそうで、斎藤工さんは驚いたといいます。

お父さんの映画製作は学生時代から始まっていたようで、80年代の初めには黒澤明さんなども関わっていた立教大学の自主映画サークル“パロディアス・ユニティ” に所属していました。

先日まで万田邦敏監督の現場にも参加していたのですが、やはり昔、父と万田さんは一緒にドキュメンタリーを作ったり、以前、在籍されていたところから独立して、父と万田さんは映像制作会社を作って、学校用の性教育のビデオを作ったり、万博の映像を一緒に作ったりしていたそうで。
引用:https://corporate.wowow.co.jp/features/detail/2491.html

その後お父さんは、映像制作・配給の『東北新社』に勤務。
時々撮影現場に連れて行ってくれたそう。

「カメラの手前に父がいて、仕事仲間のみなさんが可愛がってくれました。作品を観ると、エンドロールに彼らの名前が載っている。
ああ、これはめちゃくちゃ格好いい仕事だなと思って、どこでもいいからエンドロールに自分の名前が載ることを目標にしてきました」
引用:https://voice.php.co.jp/detail/9303

自主映画サークル、というと難しいこだわりの映画を好む印象もあるのですが、お父さんは『トレマーズ』・『ヒドゥン』などの楽しいエンターテイメント作品も好きで、子供時代の斎藤工さんに見せてくれたそう。
映像だけでなく『麻雀放浪記』で有名な阿佐田哲也(色川武大)さんにも傾倒されていたようです。

“子供にみせるな”がキャッチコピーだった北野武監督の監督デビュー作『その男、凶暴につき』(1989)を見せてくれたことが、斎藤工さんが芸能界入りを決心する一本になったといいますから、現在の“映画監督・斎藤工”を作る大きな要素にもなっているのですね。

早々と会社をリタイアされてからは、奥さんと共に南アメリカを放浪旅行。
グアテマラにしばらく住んでいた事を、斎藤工さんがあるテレビ番組で語っています。

帰国すると2009年、世田谷区三軒茶屋で“スープとケバブ・食堂デリカッテ”をオープンさせました。


実家のすぐ近くにあったこのレストランは、イスラエル料理がメインというちょっと変わったお店。
中近東の味が手軽に味わえるということで人気でした。

しかし、呼び鈴を鳴らしすぐに立ち去る「ピンポンダッシュ」や、勝手に家の外観を撮影されるなど、心無い一部のファンの迷惑行為が頻発。
やむを得ず表札をはずしたりして対処していましたが、とうとう閉店してしまいました。

お客さんを大切にするいい店だったので閉店は残念です(常連客)
引用:https://www.jprime.jp/articles/-/5702?display=b

現在はお姉さんの嫁ぎ先である、大分県臼杵市で「古民家カフェCafe Delicatte(カフェ・デリカッテ)」として再び営業しています。
こちらは2013年のお顔です。
斎藤工さんの面影、ありますね。

引用:https://ameblo.jp/hikaru-kawamura/entry-11449539665.html

 

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斎藤工の母親

斎藤工さんの母親は、指圧師をされていたそう。
ふだんは化粧っけもまったくなく、作務衣を身に着け自転車をこぐ姿が

じゃりン子チエみたいな感じだったんですけど
参照:https://www.youtube.com/watch?v=8e0wHihipJg

と斎藤工さん。

母の日に記念写真を撮ろうと、めずらしくヒールを履いたらグラついて立っていられなかったそう。

こちらも2013年のお顔です。
斎藤工さん、自身は「お母さん似」と発言されているのですが、確かに似ています!

引用:https://ameblo.jp/hikaru-kawamura/entry-11449539665.html

お父さんが会社員をやめ南米に旅に出た時には、お母さんも後を追って日本を飛び出し、いっしょに旅をしています。
明るいお人柄で、ちょっとやそっとじゃ動じません。

お父さんと同じく、お母さんも若い頃からかなりの映画好き。
成瀬巳喜男監督の『乱れる』や、スペイン映画『ライブ・フレッシュ』がお気に入りだそう。

挑発的な表現で異彩を放ったペドロ・アルモドバル監督の同作は、ペネロペ・クルスなどが出演するドロドロの愛憎劇です。

お母さんは、高校生だった斎藤工さんにこの映画のチケットをくれて「彼女と行きなさい」と言ったそう。

デートにこのチョイスは、うーん、どうだったんでしょう?

当時の彼女は年上だったんですけど、彼氏の母からのメッセージをどう捉えたのか…。困惑してましたよね(苦笑)。母は父とはまた違った映画の嗜好があって、やはり、あの父と結婚するだけあるなぁと思うんですが(笑)。
引用:https://corporate.wowow.co.jp/features/detail/2491.html

お母さんは、ユニークで型にとらわれない自由な心を持つ女性のようですね。

斎藤工の姉

斎藤工さんのお姉さんは2歳年上。

引用:https://www.bilibili.com/video/BV1qZ4y1A7Mn/?spm_id_from=333.788.recommend_more_video.-1

幼いころはふたりいっしょに、電車で高田馬場の“東京シュタイナーシューレ”(現・シュタイナー学園)に通っていました。
朝の通勤ラッシュに巻き込まれながら、弟をかばいつつ通学してたんでしょうね。

そんな仲良し姉弟でしたが、しょっちゅうハデなケンカも。
おじさんの家の二階から、取っ組み合いしながらふたりが転がり落ちてきたこともあるとか。
写真はいとこをはさんでの姉弟です。

引用:https://www.bilibili.com/video/BV1qZ4y1A7Mn/?spm_id_from=333.788.recommend_more_video.-1

強気なお姉さん、工さんのおなかに馬乗りになって、往復ビンタ!
何度もそれを食らわせられると、斎藤工さんは戦う気力も失われて抵抗をあきらめたそうです。

お姉さんは日本体育大学に進学、ライフセービング部に所属していました。
海岸などで、ビーチで遊ぶ人たちの安全を守る活動をするのがライフセーバーですね。
(ツイートは現在の日体大ライフセービング部の女子部員さんで、お姉さんではありません。)

卒業後の職業もライフセービングの道を選んだと言うお姉さん。

上のtweetにも部員の方の写真がありますが、小麦色の肌に、健康そのもののようなスタイル。
弟の工さんのイメージとはかなりかけ離れているようです。

同じ大学出身の男性と結婚後は、大分に在住だということです。
2歳年下の旦那様だそうですから、工さんと同い年ですね。

ちなみに結婚前、旦那様は斎藤工さんといっしょに引っ越し屋のアルバイトをしていたそう。
(斎藤工さんは「人生なにがあるかわからないから」という理由で、29歳まで俳優業以外にアルバイトを続けていました)
知り合ったのが先か弟のアルバイトの縁で結ばれたのか、きっかけは判然としませんが交際が始まりそして結婚。
それまで東京に住んでいたご両親は、お姉さんの結婚を機に大分県に引っ越してカフェを経営されています。

下がカフェの場所と、お店のインスタグラムです。

 

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緑に囲まれた素敵なお店ですね。

実際に両親と会ってインタビューをしたMCの笑福亭鶴瓶が「大分に住み着いて、そこでお店しようかって言っていたで」と裏話をすると、斎藤も「そうなんですよ、たまに土地を探していたりして。僕も大分に通えないかな、なんて思っているんです」と返す一幕も。
引用:https://www.jprime.jp/articles/-/5702?display=b

大分在住のUtaさんという歌手が、斎藤工さんの姉ではないか?との情報もありましたが、こちらはどうも眉唾もの。
確証は得られませんでした。

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斎藤工の実家

バクテーとラーメン、二つの国のソウルフードがつなぐ家族の絆を描いた映画『家族のレシピ』(2009)で主役を務めた際のインタビューから。
斎藤工さんの実家の味は、お砂糖をつかわない甘くない卵焼きだったそう。

20歳まで他の卵焼きを知らなかった斎藤工さん、自分が家庭を築くことについて問われ、こんな風に語っています。

僕の中で甘い卵焼きはスイーツのジャンルに入るんです。だから、甘い卵焼きを作る彼女とは共通の未来を描けない(笑)。それくらい僕にとって卵焼きの味は重要なんです(笑)。
引用:https://magazine.hitosara.com/article/1568/

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まとめ:斎藤工の家族と実家での様子

  • 斎藤工さんのお父さんはウルトラマンタロウの爆破係だったの!?
  • 斎藤工さんのお母さんは癒しの達人?元○○を職業にしていました。
  • 斎藤工さんの姉は大学時代からライフセーバーをしていました。
  • 斎藤工さんの実家は旅好きな両親が営むエスニックレストランが好評でした。

旅好きで美味しいもの好きなご両親と、結婚して大分に住んでいるお姉さん。
あちこちでのインタビューを見ると、仲の良いご家族のようすがうかがえます。
40歳を超えて、斎藤工さんもいよいよご自身の家庭を持つなんてお話は…まだ聞こえてこないようですね。

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