2020年11月にタレントのみのもんたさんがパーキンソン病であることを公表しました。
パーキンソン病を発症したことで第一線で活動することが難しくなり番組を降板することになってしまいました。
みのもんたさんが患ったパーキンソン病とはどんな病気なのか?
そして、他にかかった芸能人や有名人にはどんな方がいるのかを調査しました。
超有名なあの人も実はパーキンソン病だったこともわかりました。
パーキンソン病とは?
当サイトは医療情報の専門サイトではありませんので詳しい解説は省きますが、まず「パーキンソン病とはどんな病気なのか?」について、一般的に言われている内容を簡単にご紹介します。
パーキンソン病の主な症状
パーキンソン病は脳の働きに異常が生じて、身体の動きに障害が現れる病気です。
パーキンソン病の代表的な症状の例は以下のようなものがあります。
これらの症状は何年もかけてゆっくりと進行するのが特徴と言われています。
パーキンソン病は50~65歳くらいで発病することが多く、高齢になるほど発病する確率も上がりますが、若くても発病することもあります。
動作が遅い・小さい・少ない
歩く速度が遅くなったり、歩幅が狭くなったりします。腕の振りも小さくなります。
手足が震える
専門的には振戦(しんせん)と言うそうです。安静時に手や足に細かな震えが起こります。
筋固縮(きんこしゅく)
患者さんの手や足を動かそうすると関節の動きに抵抗を感じるそうです。関節がカクカクするような動きになります。
バランスが取れない
専門的には姿勢反射障害と言うそうです。重心がグラついたときに姿勢を立て直すことができずに倒れてしまうというものです。主に進行期に現れると言われています。
パーキンソン病についての基本的な知識は、この病気と闘う人々を理解する第一歩です。
私たちの周りにも、知らず知らずのうちにこの病気と闘っている人がいるかもしれません。
パーキンソン病の原因と進行
パーキンソン病の原因は脳内の神経伝達物資であるドーパミンの減少によるものです。
その結果として運動機能の調節が正常にできなくなり、身体の動作にいろいろな障害が現われるようになると言われています。
またドーパミンが減少することによって神経系もダメージを受けることになり、代表的な身体症状に加えて「抑うつ」「睡眠障害」「幻覚」などの精神障害が現れることもあるそうです。
パーキンソン病の症状は人によって異なりますが、知っておくことで早期発見につながるかもしれません。
自分や大切な人の健康に注意を払いましょう。
パーキンソン病の治療と見通し
パーキンソン病は完治することが難しいため難病指定されています。
パーキンソン病はゆっくりと進行する病気であることから、以前は「発症したら10年後は寝たきり」と言われていた病気です。
しかし、現在では薬や治療技術の進歩により発症しても長い期間より良い状態を保つことができるようになってきているようです。
そのため、なるべく早い段階から治療を始めることが大切だと言われています。
治療法の進歩により、パーキンソン病の患者さんもより良い生活を送れるようになっています。
希望を持って、前向きに闘病生活を送りましょう。
パーキンソン病と闘う日本の有名人
日本の芸能人や有名人でパーキンソン病を発病したという人はどれくらいいるのでしょうか?
日本の芸能人や有名人でパーキンソン病を公表した人を調査しました。
パーキンソン病は行動障害を伴う病気ということで、発症した場合には引退を余儀なくされてしまうかもしれません。
パーキンソン病と診断された日本の有名人たちの物語は、病気との闘いの中での強さと勇気を示しています。
彼らの経験から学ぶことは多いです。
みのもんた
名前 | みのもんた |
本名 | 御法川法男(みのりかわのりお) |
生誕 | 1944年8月22日 |
出身 | 東京都世田谷区祖師谷 |
学歴 | 立教大学経済学部 |
職業 | フリーアナウンサー(司会者、タレント、キャスター)、実業家 |
みのもんたさんは、立教大学経済学部を卒業後、文化放送に入社します。
文化放送ではほとんどの期間をアナウンサーとして働いていましたが社内の人事異動をきっかけに1979年に文化放送を退社します。
その後はフリーのアナウンサーとして実績を積んでいき、1989年4月に始まった『午後は〇〇おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の総合司会となります。
同番組の人気とともに高視聴率を取るようになると、みのもんたさん自身も一気に人気司会者の地位を確立することになります。
人気司会者として活躍していたさなか、2019年にパーキンソン病が発症してしまいます。
きっかけは人気バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』で、みのもんたさんの顔がアップで映されたときに目がうつろになっていたことだといいます。
病院で検査をしたところパーキンソン病であることがわかり、『秘密のケンミンSHOW』も降板することにしたといいます。
「実は僕は、糖尿病が持病なんですよ。ところがそこへもってきて去年の暮れ、パーキンソン病を発症してしまってね」
――それは公表されてない?
「誰も聞かないから。『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ系)でアップに映った時、目がうつろになっていた。それで調べたらパーキンソンとわかりました。それで僕、『ケンミンSHOW』をやめたんです。これは筋肉が硬くなっていく病気なんですよね。顔の筋肉にも影響出ますし。
引用:Yahooニュース
松村厚久
名前 | 松村厚久(まつむらあつひさ) |
生誕 | 1967年3月29日 |
出身 | 高知県高知市 |
学歴 | 日本大学理工学部 |
職業 | 実業家 |
主な実績 | ダイヤモンドダイニング創業 株式会社DDホールディングス代表取締役社長、グループCEO |
松村厚久氏は株式会社ダイヤモンドダイニングの創業者で、株式会社DDホールディングス代表取締役社長、グループCEOを務めています。
また高知県の観光特使も務めています。
大学を卒業した後、会社員として働いた時代を経て1995年に独立。
2001年にはもともと興味があった飲食業界に参入して銀座に「VAMPIRE CAFE」の1号店をオープンさせました。
その翌年の2002年12月に株式会社ダイヤモンドダイニングに社名を変更しています。
そして、2015年に会社が東京証券取引所市場第一部銘柄に指定される中、ノンフィクション作家の小松成美氏の著書『熱狂宣言』(幻冬舎)において若年性パーキンソン病に罹患していることを公表しています。
小森和子
名前 | 小森和子(こもりかずこ) |
生誕 | 1909年11月11日 |
没年 | 2005年1月8日 |
出身地 | 東京都港区赤坂 |
職業 | 映画評論家、タレント |
小森和子さんは「おばちゃまはねぇ~」という独特の話し出しから『小森のおばちゃま』の愛称で親しまれていました。
一時期、片岡鶴太郎さんが『小森のおばちゃま』のものまねしたことがきっかけとなり、バラエティ番組などへの出演も増えて、その穏やかな人柄から人気を集めていました。
そんな小森和子さんも晩年の10年はパーキンソン病のほか、老人性認知症、うつ病などを患うこととなり、ほぼ寝たきりの状態で自宅療養の生活を送っていたといいます。
ずっと養女が介護をしていましたが、2005年1月8日に呼吸不全のため永眠されています。
マサ斉藤
名前 | マサ斉藤 |
本名 | 斎藤昌典(さいとうまさのり) |
生誕 | 1942年8月7日 |
没年 | 2018年7月14日 |
出身 | 東京都中野区 |
職業 | プロレスラー |
マサ斉藤さんは、日本のプロレス界を牽引してきたレジェンドレスラーです。
日本プロレスや東京プロレスを経てフリーランサーとなったのち、新日本プロレスを主戦場にして活躍をしてきました。
また日本だけでなくアメリカにおいてもNWA、AWA、WWFなどの各団体で多くの実績を残しています。
プロレスの第一線を退いたのちにはワールドプロレスリングの解説者としても活躍されていましたが、現役引退後の1999年ごろにパーキンソン病を発症しました。
パーキンソン病との闘病生活を20年近く続けてきましたが2018年7月14日に永眠されました。
永六輔
名前 | 永六輔(えいろくすけ) |
生誕 | 1933年4月10日 |
没年 | 2016年7月7日 |
職業 | 放送作家、作家、タレント |
永六輔さんは放送作家、ラジオパーソナリティ、タレント、随筆家などマルチな才能を発揮し多方面で活躍されていました。
2010年にパーキンソン病と診断されたことを公表しており、投薬治療を受けていたということです。
またパーキンソン病の影響で歩行困難にもなっていました。
岡本太郎
名前 | 岡本太郎(おかもとたろう) |
生誕 | 1911年2月26日 |
没年 | 1996年1月7日 |
職業 | 芸術家 |
岡本太郎さんは1970年に大阪で開催された万国博覧会においてテーマ展示のプロデューサーに就任します。大阪万博のときに作った『太陽の塔』はあまりにも有名ですね。
しかしながら、ずっと患っていたパーキンソン病の影響よる急性呼吸器不全で1996年1月7日に永眠されました。
高島忠夫
名前 | 高島忠夫(たかしまただお) |
生誕 | 1930年7月27日 |
没年 | 2019年6月26日 |
職業 | 俳優、タレント、司会者 |
高島忠夫さんは1952年に映画『恋の応援団長』でデビューして以来、数多くの映画、ドラマ、舞台で役者として活躍していました。
そのほかにもクイズ番組の司会を務めるなど、役者以外の活動でもその才能を発揮されていました。
そんな高島忠夫さんもパーキンソン病が発症してしまい、2010年には不整脈のために心臓にペースメーカーを入れる手術を行うなど、晩年は闘病の生活が長い間続いていました。
江戸川乱歩
名前 | 江戸川乱歩(えどがわらんぽ) |
生誕 | 1894年10月21日 |
没年 | 1965年7月28日 |
職業 | 小説家 |
江戸川乱歩さんは大正から昭和にかけて活躍された推理小説作家です。
晩年は動脈硬化、高血圧、副鼻腔炎(蓄膿症)に加えてパーキンソン病を患うことになってしまいましたが、それでもなお口述筆記をさせて評論や著作を行うほど、書くことへの情熱を持っていました。
山田風太郎
名前 | 山田風太郎(やまだふうたろう) |
生誕 | 1922年1月4日 |
没年 | 2001年7月28日 |
職業 | 小説家 |
山田風太郎さんは東京医科大学を卒業し医学士号を取得している異色の小説家で、伝奇小説、推理小説、時代小説の3つの分野で名を馳せた戦後日本を代表する娯楽小説の第一人者です。
山田風太郎さんは白内障、糖尿病、パーキンソン病を立て続けに患ったことで執筆自体が困難になってしまいます。
しかし、そんな中でもパーキンソン病にかかった自分自身を見つめ直したエッセイ『あと千回の晩飯』は特に際立った評価を得ている作品です。
パーキンソン病を経験した海外セレブ
パーキンソン病を患ってしまった海外の有名人はどんな人がいるのか調査してみました。
海外の著名人もパーキンソン病という共通の挑戦に直面しています。
彼らの物語は、国境を越えた共感と支援の大切さを教えてくれます。
アドルフ・ヒトラー
名前 | アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler) |
生誕 | 1889年4月20日 |
没年 | 1945年4月30日 |
職業 | 政治家 |
アドルフ・ヒトラーは言わずとしれたナチスドイツの党首で、ドイツ国の首相および国家元首務めた指導者として有名な政治家です。
ドイツの一時代を築いた政治家としてあまりにも有名な政治家ですが、最期は自殺という形でこの世を去ります。
そんなヒトラーもパーキンソン病を患っていたと言われています。
鄧小平
名前 | 鄧小平(とうしょうへい、トン・シャオピン) |
生誕 | 1904年8月22日 |
没年 | 1997年2月19日 |
職業 | 政治家 |
鄧小平は中華人民共和国の政治家で現代中国の政策路線を築いた人物です。
中華人民共和国を建国した毛沢東の死後に事実上の最高指導者となり、毛沢東時代の政策を転換して改革開放や一人っ子政策などを実行してきました。
そんな鄧小平もパーキンソン病を患い、さらには肺への感染症を併発して呼吸不全が原因となり亡くなりました。
グレン・ティプトン
名前 | グレン・ティプトン(Glenn Tipton) |
生誕 | 1947年10月25日 |
職業 | ミュージシャン、プロデューサー |
グレン・ティプトンはイギリスのヘビメタバンド『ジューダス・プリースト』のギタリストとして人気を博しています。
グレン・ティプトンは2018年2月に「10年前からパーキンソン病を患っている」と公表し世界を驚かせました。
パーキンソン病を公表したのち、2018年に発売されたアルバム『Firepower』に伴うツアーには参加せずに代役を立てたことでも話題となりました。
モーリス・ホワイト
名前 | モーリス・ホワイト(Maurice White) |
生誕 | 1942年12月19日 |
没年 | 2016年2月4日 |
職業 | ミュージシャン |
モーリス・ホワイトは人気バンド『アース・ウィンド・アンド・ファイア』のリーダーとして活躍し一世風靡しました。
1997年に神経性障害との診断を受けますが、「パーキンソン病ではなく、もともと神経質であることと度重なるストレスから震えが伴うことがある」とモーリス自身は発言しています。
しかし、その後にやはりパーキンソン病であったことが明らかになりました。
E・H・エリック
名前 | E・H・エリック(E. H. Erick) |
生誕 | 1929年8月1日 |
没年 | 2000年8月17日 |
職業 | タレント・俳優・司会 |
E・H・エリックは日本人の父親とデンマーク人の母親を持つハーフタレントで、コメディーから司会までこなすマルチタレントの草分けともなった人物です。
語学が堪能であったことから、ビートルズ来日公演の際には司会とインタビューを担当していました。
また、弟は岡田真澄、次女が岡田美里という芸能ファミリーでもあります。
パーキンソン病によって2000年に永眠されました。
マイケル・J・フォックス
名前 | マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox) |
生誕 | 1961年6月9日 |
職業 | 俳優・作家・プロデューサー |
マイケル・J・フォックスは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの大ヒットによって一躍ハリウッドスターの仲間入りを果たした俳優です。
1990年ころからパーキンソン病の兆候が見られ、30歳の若さでパーキンソン病を発症しますが当初は病のことは隠しながら仕事を続けていました。
その後1998年にパーキンソン病であることを公表しています。
また、自身の生い立ちやパーキンソン病との闘いを綴った伝記『ラッキー・マン(Lucky Man)』がベストセラーとなったり、パーキンソン病研究の助成活動のため『マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団』の設立なども手掛けています。
モハメド・アリ
名前 | モハメド・アリ(Muhammad Ali) |
生誕 | 1942年1月17日 |
没年 | 2016年6月3日 |
職業 | プロボクサー |
モハメド・アリはアフリカ系アメリカ人ではありますが、イングランドとアイルランドの血も引く元WBA・WBCの統一世界ヘビー級チャンピオンです。
『蝶のように舞い、蜂のように刺す』というボクシングスタイルを模したフレーズでも有名です。
アントニオ猪木との異種格闘技戦を行ったことでも注目を浴びました。
モハメド・アリは42歳のときに現役時代に頭部に受けたダメージが原因とされるパーキンソン病との診断を受けます。
それから闘病生活を続けますが、難病と闘いながらも社会に対して多くのメッセージを発信し続けた人物でもありました。
まとめ:パーキンソン病の芸能人は引退やむなし?発病したのは誰?
- パーキンソン病とは脳機能の異常により身体活動に障害がでる難病。
- 完治する治療法はまだ確立していないが、医療の進歩によってより良い状態を保てるようにはなってきている。
- 多くの場合はパーキンソン病を発症したら現役を引退せざるを得ないが、闘病しながらも精力的に活動している人もいる。
以上が、パーキンソン病についてと日本や海外でパーキンソン病を公表した有名人の方々の紹介でした。
特に有名人の場合には、難病と闘っていること自体がメッセージとなることも多く、我々も自分の人生を含めていろいろなことを考えさせられますね。