二階堂ふみの大学がヤバい!高校や中学の学歴もすごかったのか?

二階堂ふみ 本名 学歴

この記事では二階堂ふみさんの学歴(中学・高校・大学)や学生時代のエピソードをまとめています。

小学生から芸能活動を始めた二階堂ふみさんは中学では女優としてデビューし、高校時代は賞も受賞する実力を見せていますが、そんな二階堂ふみさんが進んだ大学はなんと慶應義塾大学です。

しかし、そこには人気女優ならではの悩みもあるようですね。

詳しくは記事本編で。

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二階堂ふみの大学

二階堂ふみさんは2014年4月に慶應義塾大学に入学しています。

学校名 慶應義塾大学
学部・学科 総合政策学部
偏差値 75
入試難易度 難関
所在地 〒252-0882
神奈川県藤沢市遠藤5322

二階堂ふみさんは2014年4月から慶應義塾大学の総合政策学部に在籍しています。

二階堂ふみさんが慶応大学に合格したことは、ニュースサイトなどでも報道されましたし、ツイッターでも話題になりました。

二階堂は22日昼ごろ、ツイッターで「みなさま、お祝いのリプライありがとうございます。大学合格しました」と報告すると、「両立というのは大変ですが、必死に食らいついていきたいと思います。勉強頑張ります」と女優業と学業の両立を誓った。

引用:シネマトゥデイ

何よりも二階堂ふみさん本人が話しているので間違いありませんね。

二階堂ふみさんは一浪を経験して慶応大学に合格しました。

といういうのは、高校3年生のときには仕事が忙しくて受験を断念せざるえなかったためです。

高校3年生だった2012年は第56回ブルーリボン賞の対象作品になった『脳男』にはじまり、『地獄でなぜ悪い』『四十九日のレシピ』『私の男』などの撮影が目白押しだったため現役での受験を断念しました。

これだけの撮影をこなしながら高校を卒業するだけでも大変なのに、ましては大学受験までは手が回らなかったんでしょう。

しかし、二階堂ふみさんはそれ以前から大学への進学は考えていたようなので、1年かけてじっくりと大学で学びたいことを考えての進路選択だったのではないでしょうか。

二階堂ふみさんが受験したのはAO入試で、1次試験は書類選考、2次試験で面接が実施されます。

慶応大学のAO入試ですから学力はもちろんのこと、学業以外の活動でも社会的評価が一定以上ないと合格することは難しいです。

二階堂ふみさんは第68回ヴェネツィア国際映画祭のマルチェロ・マストロヤンニ賞(=最優秀新人賞)を日本人として初めて受賞しています。

これだけの実績があればAO入試の材料としては十分ではないでしょうか。

二階堂ふみの大学生活

二階堂ふみさんは慶応大学に入学してからわずかな期間だけ『テニスの王子様』を見るだけのサークルに所属していました。

なかなかマニアックなサークルですね(^^;

ですが、そこの部員たちは二階堂ふみさんのことを知らなかったため、自ら女優であることを打ち明けます。

すると、あれよあれよという間に噂が広がって、二階堂ふみさんにサインや握手を求める人たちで部室が溢れかえってしまうようになり、他の部員たちに迷惑はかけられないとして、サークルからは脱退してしまいます。

そのほかにも、雑誌『プレイボーイ』の表紙を飾ったときは、黒バニー姿の写真を冷やかした学生がいたんだとか。

二階堂ふみさんはそんな同級生を「幼稚な人」と相手にしなかったといいますが、そのおかげで大学にも通いにくくなってしまったという話もあります。

大学生ともなればもう大人と同じくらいの分別はつくと思うんですけどね・・・。

また、一部では二階堂ふみさんが慶応を中退したという情報もあったりしますが、本記事執筆時点ではまだ慶応を中退したという情報は見当たりません。

NHKの朝ドラで共演した薬師丸ひろ子さんにも「慶応は卒業したほうがよい」とアドバイスされたともされているので、仕事と学業の両立は大変だとは思いますが、せっかく一浪までして入ったのですから卒業はしてほしいですね。

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二階堂ふみの高校

二階堂ふみさんは2010年4月に東京都立八潮高等学校に入学し。年3月に同校を卒業しています。

学校名 東京都立八潮高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 43
入試難易度
所在地 〒140-0002
東京都品川区東品川3丁目27−22

二階堂ふみさんが八潮高校に通っていたことを示したツイートもいくつか見つかりました。

そのほかにも、NHKの朝ドラ『エール』で共演した薬師丸ひろ子さんも八潮高校の卒業生なのですが、ドラマの撮影中に二階堂ふみさんの歌声の話題から合唱部の話になり、そこから偶然同じ八潮高校の出身であることがわかったといいます。

二階堂ふみさんは中学卒業を機に地元の沖縄を離れて上京しています。

高校時代は東京でひとり暮らしをしていましたが、かなりの極貧生活を送っていたと言います。

白米を食べることも難しくて芋を主食にしていたといいますし、友達が遊びに来たときには「入場料」と称して米を2合徴収したなんてエピソードもあります。

その一方で、高校3年生の2012年にはアメリカのニューヨークへ2ヶ月間の短期留学をしています。

世界に通用するような女優を目指すためだといいます。

高校時代には多くの作品に出演するようになった二階堂ふみさんですから、米が食べられないということもなかったと思うのですが、極貧生活というのはもしかしたら自己研鑽のほうに使うお金を優先させていたからもしれませんね。

そして先述したように、高校時代に大きく飛躍した二階堂ふみさんは多忙のあまり現役での大学進学を断念しますが、多忙なながらも一浪してまで大学を目指したというところも、二階堂ふみさんの意志の強さをよく表していると思います。

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二階堂ふみの中学校

二階堂ふみさんは2007年4月に地元沖縄の那覇市立神原中学校に入学。2010年3月に同校を卒業しています。

学校名 那覇市立神原中学校
偏差値
入試難易度
所在地 〒900-0022
沖縄県那覇市樋川2丁目8−1

二階堂ふみさんが神原(かみはら)中学校に在籍していたことを示すツイートも見つかっています。

二階堂ふみさんは小学6年生から芸能活動を始めており、中学生になると雑誌『ニコラ』の専属モデルも務めるようになります。

しかし、この時期のニコラは西内まりやさん、川口春奈さん、飯豊まりえさんらも在籍しており、それらの人気モデルの陰に隠れてしまって表紙に登場することはありませんでした。

また、中学1年生のときにはドラマ『受験の神様』で女優デビューを果たし、中学3年生のときには映画『ガマの油』でヒロインに抜擢されるなど、女優としても活動を始めていきます。

このころの二階堂ふみさんはまだまだ無名の新人で、撮影のときも極度の緊張に襲われていましたが、『ガマの油』で一緒になった録音技師の鶴巻仁さんにかけられたひとことで大きく変わったといいます。

それは「毎回100%を出さなくてもいい。100%出そうとして30%しか出せないよりは、常に70%出せればいいんだから」というもので、この言葉によって緊張がほぐれてクライマックスシーンで初めて本気の涙を流せたといいます。

このときの鶴巻仁さんの言葉は二階堂ふみさんの女優人生においては大きく印象に残っているようですね。

芸能活動が大きく動き出した二階堂ふみさんの中学時代ですが、その反面学校生活はうまく行っていなかったようで二階堂ふみさん本人も「あまりいい思い出がない」と語っています。

芸能の仕事があるときにはそのたびに沖縄と東京を行き来する生活を送っていたため、部活動などもする時間も取れず、周囲の友達とも打ち解けることができず友達も少なかったといいます。

二階堂ふみさんは宮崎あおいさんとよく似ていることから「ポスト宮崎あおい」と注目されていたこともあり、芸能活動の多忙も相まって学校では孤立状態になってしまっていたようですね。

特に地方出身ということで、上京にも移動時間がかかりますし、それだけでも自由に使える時間が減ってしまいますから、寂しい思いをすることもあったのではないでしょうか。

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まとめ:二階堂ふみの学歴について

  • 二階堂ふみさんは那覇市立神原中学校を卒業しています。
  • 二階堂ふみさんは東京都立八潮高等学校を卒業しています。
  • 二階堂ふみさんは慶應義塾大学に在学中です。

二階堂ふみさんの中学・高校・大学の学歴について紹介しました。

数々の賞を受賞するほどの人気女優になりながらも名門の慶應義塾大学を目指して、しかもしっかりと合格まで勝ち取るというところに二階堂ふみさんの意識の高さを感じてなりません。

その反面、学業と女優を両立するのがなかなか難しい状態でもあることも否めません。

ですが、そこはなんとか乗り切って慶応大学卒業まで持っていってもらいたいですね!

がんばってください! 応援しています!!

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