この記事は間宮祥太朗さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。
間宮祥太朗さんの子どものころのエピソードを調べていると、なんと、幼少期に世界一周旅行にいっていたんだとか。
そんな話を聞くと実家はお金持ちなの?と勘ぐってしまいますが、実際はどうなのでしょう。
間宮祥太朗の家族構成(父母・兄弟姉妹)
間宮祥太朗さんの家族構成は父、母、間宮祥太朗さんの3人家族です。
間宮祥太朗の父親
間宮祥太朗さんのお父さんは一般の方のようです。
職業、年齢、顔写真等一切公開されていません。
ただ、過去のインタビューで間宮祥太朗さんが「お父さんの仕事が日曜は休みだった」と話しています。
いわゆる会社員だと土曜日もお休みであることが多いですよね。
つまり日曜日がお休みの業種に就かれていたことがわかります!
間宮祥太朗さんはご家族についてあまり多くを語ってはいません。
でも、間宮祥太朗さんが小学生のころ、お父さんがお休みの日に家族である習慣があったそうです。
それは夕食後に家族そろって1本映画を見ること。
1週間に1本映画を見るのが生活の一部だった、と間宮祥太朗さんが話しています。
ドラマだけでなく数々の映画作品でも活躍している間宮祥太朗さん。
間宮祥太朗さんにとって、映画とは幼いころから慣れ親しんだものだったんですね。
最初はお父さんやお母さんが好む、ハリウッド映画なんかを見ていたそうですよ。
「だから、映画は近い存在というか、観るのが当たり前のことでした。最初は父親とか母親が趣味で借りてきた洋画の大作とかを観はじめて。」
(引用:SPICE)
間宮祥太朗の母親
間宮祥太朗さんのお母さんも、お父さんと同じく一般の方です。
お名前や年齢は公表されていません。
後述しますが、間宮祥太朗さんは小さい頃お祖父さんと二人でたくさん海外旅行をしていました。
お父さんもお母さんも旅行に来なかったというのは、お二人ともお仕事をしていたのではないかと思われます。
そして、お母さんは美容師をしていたと、間宮祥太朗さんが過去に話していたそうです。
美容師のお休みは基本は月曜日、土日祝はお仕事だと思います。
お母さんはかなり多忙だったでしょう。
そんなお母さんですが、ご飯はしっかり作ってくれていました。
間宮祥太朗さんがテレビで「ほうれん草のラザニア」をおふくろの味として紹介しています。
ラザニアってかなり手が込んでいて作るのが難しそうなイメージがあります。
でも特別なメニューではなく、日常的にテーブルに並んでいたんだとか。
このエピソードだけでもお母さんが間宮祥太朗さんにおいしいものを食べさせたいと思っていた愛情を感じられます。
「間宮祥太朗にとってのおふくろの味「ほうれん草のラザニア」を再現し、武田鉄矢とともにその思い出を振り返る。一見、手間のかかる料理だが間宮家では特別な日のメニューではなく普段の食卓に並んでいたという。」
(引用:フジテレビ)
お母さんの愛情が間宮祥太朗さんに伝わっているのでしょう。
間宮祥太朗さんとお母さんは大人になった今でも仲良しです!
間宮祥太朗さん、お母さん、矢本悠馬さん、矢本悠馬さんのお母さん、そして成田凌さんの5人で食事に行ってます!
この写真1枚だけでもみんなの仲の良さが伝わりますね♪
悠馬、私、私の母、悠馬の母、凌
三者面談的な気持ちになりました。 pic.twitter.com/mYdDKjI9bx— 間宮 祥太朗 (@shotaro_mamiya) January 28, 2017
間宮祥太朗の兄弟姉妹
間宮祥太朗さんに兄弟はおらず、ひとりっ子のようです。
間宮祥太朗の祖父
間宮祥太朗さんのお祖父さんも職業、年齢について公表されていません。
ただ、お祖父さんは間宮祥太朗さんが5歳の時に船で世界一周旅行に連れて行ったとか!
世界一周旅行をするのはお金も時間もかかります。
仕事をしていたらなかなか休めないし、仕事をしていなかったらお金が大変です。
それに5歳の子どもを連れて…というのはかなりハードルが高いと思います!
ホームシックになったら大変ですよね?!
決断したお祖父さんも、承諾したご両親も、ついていった間宮祥太朗さんもすごいと思いました。
しかもこれが一回きりの話では無いんです。。。
間宮祥太朗さんとお祖父さんはほぼ毎年、夏と冬の年に2回くらい1ヶ月の海外旅行をしていました。
それで10か国以上巡っていたというんだから驚きです!
どうやらお祖父さんの中で、孫が生まれたら世界を旅させる、と決めていたそうですね。
そんなお祖父さんと間宮祥太朗さんの旅行はなかなかハードな内容です。
ツアー旅行ではなく、その地の自然を感じに行きます。
飛行機で飛び立ったらあとはレンタカーでひたすらどこまでも移動します。
時間と体力に限界を感じたところで近くのモーテルに泊まる、というのが旅の定番でした。
これはかなり逞しく育ちそうですね!
お祖父さんはなぜこんな旅行をしたのか?
その理由についてこのように話しています。
将来どんな人生を歩んでも、日本は必ず海外との接触無くして成長しない。
そう確信していたお祖父さんは、間宮祥太朗さんがどんな環境に身を置いてもそこで挑戦し、成長出来る人間になってほしかったんだとか。
どんな場面でも堂々としていて物おじしない間宮祥太朗さんは、まさにそんな人間に育っていますよね。
お祖父さんの答えに対して間宮祥太朗さんは「祖父がまさにそう」と話しています。
この「どんな環境でも同化して成長」と回答について、間宮は「まさに祖父に言える」「その場に自分の感覚や自分の常識を持ち込むというよりは、その土地のその場の状況に順応していく、それを楽しむような人だったので」と語る。
(引用:日テレ)
とても偉大なお祖父さんですが、ちょっとおちゃめなところもあります!
なんとお祖父さんの気の迷いで、名前が「きゅうたろう」になりかけていたそうです。
僕はお祖父ちゃんの血迷いで、一時きゅうたろうになりかけたらしいです。
“@tamkenNNN: 田村純#今の本名じゃなかったらなる予定だった名前”
— 間宮 祥太朗 (@shotaro_mamiya) February 26, 2013
間宮祥太朗の実家
間宮祥太朗さんは神奈川県横浜市です。
なんとロケ地にもなるくらいの場所です!
お気付きの方、、、いますか、、、初めてムササビをやった場所で、、、特攻服を着て人を殴ってます、、、因みに地元です、、、
— 間宮 祥太朗 (@shotaro_mamiya) May 25, 2022
間宮祥太朗さんは9歳から18歳まで横浜の中心地で過ごしています。
不道徳教室が上演されるKAAT神奈川芸術劇場の辺りは僕が9歳から18歳までを過ごしたTHE地元なのです。
素敵な街だよな、と今来てもつくづく思います。
開放感あるし落ち着く店も沢山あって生き急ぐ強迫観念とは無縁な雰囲気を感じさせる。
YOKOHAMA MINATOMACHI— 間宮 祥太朗 (@shotaro_mamiya) May 30, 2013
観光地としても有名なのでロケ地巡りなどをしながら、間宮祥太朗さんの少年時代を想像するのも楽しそうですね♪
まとめ:間宮祥太朗の家族構成・父母兄弟姉妹について
- 間宮祥太朗さんのお父さんはよく映画を観に連れて行ってくれた
- 間宮祥太朗さんのお母さんは美容師(だった?)
- 間宮祥太朗さんに兄弟はいません(ひとりっ子)
- 間宮祥太朗さんのお祖父さんは世界一周旅行に連れて行ってくれた
- 間宮祥太朗さんの実家は横浜の有名な場所
間宮祥太朗さんは、幼い頃からよく映画を観たり、世界一周旅行に連れて行ってもらったりと、自然と見聞を広げていくことができたんでしょうね。
そんな幼少期の経験が、芸能の道に興味をもって進むことになったのかもしれませんね。
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