三浦翔平の大学・高校・中学の学歴情報!ヤンチャしていた学生時代

学歴

この記事は三浦翔平さんの学歴情報(中学・高校・大学)と学生時代のエピソードを紹介しています。

勉強は好きじゃないけどやんちゃで明るく、バスケットボールに夢中だったという小学生時代の三浦翔平さん。

そんな彼が高校を中退していた?

なにがあったのか、早速みていきましょう。

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三浦翔平の大学

三浦翔平さんは大学に進学していません。
卒業後は芸能活動に専念されています。

一般に大学時代にあたる2008年~2012年までの主な活動をとりあげてみようと思います。

『ごくせん』を除いて8本のテレビドラマ、3本の映画に出演しています。

前年に「ジュノン・スーパーボーイコンテスト」をきっかけにバーニングプロダクションの目に留まり事務所入りしていた三浦翔平さん。

2008年に高校を卒業すると、さっそく4月から大人気ドラマ『ごくせん 第3シリーズ』に神谷俊輔役で起用されています。

演技の基礎など全くなかった彼は、いきなり渡された台本を読むのが精一杯だったそう。

引用:https://yumeijinhensachi.com/archives/1376

『ごくせん』は若手イケメン枠タレントの登竜門とも言われていたため、石黒英雄さん、賀来賢人さん、髙木雄也さん(Hey!Say!JUMP)など、各芸能事務所が売り出しに力を入れている精鋭がひしめきあっていました。

何度もオーディションを受けてようやくチャンスをつかんだキャストも多い中、ぽっと出の三浦翔平さんはピリピリした雰囲気にとまどうばかり。

「リアルに怖そうな人たち」ばかりに見えた撮影現場だったそうですが、いきなりメインキャストに選ばれたド新人の三浦翔平さんに周囲の視線は刺さるようだったと語っています。

参照:https://www.youtube.com/watch?v=2gHdXzEmd9s

その頃はまだアルバイトの延長程度、仕事という認識ではなかったそうで、「まあ大丈夫だろう」という根拠のない自信だけで演じていたそうです。

そんな三浦翔平さんでしたが、共演の三浦春馬さんの存在には衝撃を受けた様子で・・・。

学校にいる中では、わちゃわちゃしているんだけど本番がかかると急に、こう、スッと(役者モードに)入っていくのを間近で見ていて「コイツすげえな」と。役者ってこういう仕事なんだ、ちゃんとやらなければと思った。参照:https://www.youtube.com/watch?v=2gHdXzEmd9s

三浦春馬さんの演技のすごさに、思わずもらい泣きしてしまったこともあったと語っています。

2010年には舞台『SAMURAI 7』で初の主演をつとめています。
世界的に有名な黒澤明監督の傑作『七人の侍』をベースにした作品でした。

ドラマや映画への出演が多い三浦は「(舞台は)とにかく大きく動かなきゃいけない。また一からやっていかないといけないんだなという気持ちがある」と、ドラマと舞台で演じることの違いに少し苦労しているようだ。引用:https://moviewalker.jp/news/article/17901/

『ごくせん』以来、ルックスが先行して人気俳優の仲間入りはしたものの、実力がともなっていないことに悩み続けていた三浦翔平さん。

ある日マネージャーから渡された台本が、映画『THE LAST MESSAGE海猿』でした。

「俺がとってこれる仕事の中でこれ以上はない。死ぬ気でやれ」と言われたそう。

海上保安本部機動救難隊の特殊潜水士、通称「海猿」の活躍を描いたヒューマンドラマ。
フィクションとはいえ撮影現場の過酷さはよく知られるところです。

主演の伊東英明さんの新しい相棒・服部拓也役ですから、これも大抜擢ですよね。

演技だけでなく、肉体面・メンタル面も鍛え抜かなければ挑めない作品だったでしょう。

三浦翔平さんは、過去から逃げ続けてきた若手潜水士・服部を熱演。

2010年に公開された『THE LAST MESSAGE海猿』は観客動員数537万人、最終興収80.4億円のヒットを記録し、2010年公開の邦画実写映画では興行収入第1位となりました。
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/海猿#映画3作目

三浦翔平さんはこの作品で、2011年に第34回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。

引用:https://yumeijinhensachi.com/archives/1376

デビュー作以降、悔しい思いを持ち続けていた三浦翔平さんでしたが、努力の結果、演技力が証明された形になりましたね。

また、同じく2011年に出演した連続ドラマ「花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011」も評判になりました。

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三浦翔平の高校

三浦翔平さんは2004年4月に都立杉並高等学校に入学。
2006年に同校を中退しています。

学校名 都立杉並高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 55
所在地
〒166-0016
東京都杉並区成田西4丁目15−15

2005年、都立杉並高等学校に入学した三浦翔平さん。

1953年開校の共学校で偏差値は55、東京都ではサッカーの強豪校としても知られています。

卒業生には松本まりかさんの名前もありました。

バスケットボール部に入部した三浦翔平さんでしたが、間もなく部活も辞めてしまいます。

「自分の思ってた感じと違くて。今思えば甘えだったのかもしれないし、ただ単に自分のわがままでもあるし自分の弱さでもあったんですけど」
引用:https://mdpr.jp/news/detail/1600342

 派手なグループに属して昼夜逆転で遊びほうけたあげく、2年生の時には高校中退してしまいます。

この時は体育会系のお兄さんから「ぶんなぐられた」そう。

家庭内も三浦翔平さんの行状のせいで雰囲気は最悪。

中退後もしばらくはぷらぷらと適当な生活を送っていましたが、ご両親が自身のことでいつもケンカしているのを見て「このままじゃダメだ」と思い直したといいます。

半グレ仲間とも縁を切り、「もう一度高校をやり直したい」と頭を下げた三浦翔平さんに、ご両親は学費を援助してくださったそう。

2006年に科学技術学園高等学校に2年時から編入。2008年に同校を卒業しています。

転校 科学技術学園高等学校
学科・コース 通信コース
所在地
〒157-8562
東京都世田谷区成城1丁目11−1

 

東京都杉並区にあるこの高校は、昼間定時制の普通科(偏差値37)と通信制課程(偏差値なし)を設けており、V6の井ノ原快彦さんもこの学校を卒業しています。

両親に少しでも早く学費を返すため、コンビニなどいろんなアルバイトに精を出していた三浦翔平さん。

居酒屋の厨房では、料理の腕をあげたそう。

そんなアルバイトのひとつがドラマや映画のエキストラでした。

“デビューのきっかけ”にも詳しく書きましたが、エキストラの現場で知り合ったあるおばちゃんの勧めで「ジュノン・スーパーボーイコンテスト」を受けることになった三浦翔平さん。
この時も芸能界に入りたかったわけではなく、単にグランプリ賞金50万が欲しかっただけだったそう。

最終審査まで残りましたが惜しくもグランプリは逃し、代わりに「理想の恋人賞」・「フォトジェニック賞」を受賞。

これをきっかけにバーニングプロダクションのスカウトの目に留まり、そのわずか半年後、翌年の4月にはドラマ『ごくせん 第3シーズン』に出演することになったのでした。

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三浦翔平の中学校

三浦翔平さんは2001年4月に調布市立第四中学校に入学。2003年3月に同校を卒業しています。

学校名 調布市立第四中学校
偏差値
所在地
〒182-0003
東京都調布市若葉町3丁目15−1

スラムダンクが大好き!という三浦翔平さん。

調布市立第四中学校時代もバスケットボール部に夢中で、キャプテンも務めるほどだったとか。

 

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部活がなくても、暗くなるまで友達と1on1の練習をしていました。

学級委員をしていた時もあるといいますから、入学当初はまじめで素直な感じだったのかしら。

勉強は好きじゃなかったようで、部活と休み時間だけが楽しみだったといい、活発で身体を動かすのが好きな少年らしく、体育の授業だけははりきって出ていたそうです。

中学の後半くらいから、素行のよろしくない連中とのつきあいが増え、それがのちのち高校を中退することにもつながるのですが、とはいえ卒業式で校歌斉唱のコンダクターを引き受ける程度にはまだマジメさが残っていたようです。

活発でルックスも良かった三浦翔平さんは目立っていたでしょうから、悪い仲間からも目をつけられやすかったのかもしれません。

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まとめ:三浦翔平の学歴

  • 三浦翔平さんは調布市立第四中学校を卒業しています。
  • 三浦翔平さんは科学技術学園高等学校を卒業しています。
  • 三浦翔平さんは大学に進学していません。

30代になった今、自らのyoutubeチャンネル「三浦屋の翔へいへ~い」では過去の自分を「どうせ田舎のヤンキーだったからさ」と笑う三浦翔平さん。
でも、生存競争の激しい芸能界で10年を超す第一線での活躍は、ただのヤンキー兄ちゃんに出来るものではなかったと筆者は思いますよ。

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