この記事は市原隼人さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。
市原隼人さんの車好きはお父さん似?
そして明かされたお母さんの顔とは、、、
さっそく見ていきましょう。
市原隼人の家族構成(父母・兄弟姉妹)
市原隼人さんの家族構成は父、母、姉、市原隼人さんの4人家族です。
一度乗ってみたかったハーレーのトライクに浜ちゃん乗せて大阪の街を疾走する市原隼人さん。母親は京都、父親は四国出身、年に一度は京都に墓参りに来て三角公園でたこ焼きを食べる。
(ごぶごぶ)
高須院長もこんな感じで走ってるんやろか。 pic.twitter.com/nbqmvq0off— 矢牛 (@george_push) August 8, 2018
市原隼人の父親
市原隼人さんのお父さんは、一般の方で名前は公表されていません。
小学生のころは多摩川の土手をふたりで走ったり、河川敷でキャッチボールをしたり。
大雪の日には時間を忘れてかまくらを作る市原隼人さんに、ずっと笑顔で付き合ってくれた楽しい思い出があるそう。
参照:https://adv.tokyo-np.co.jp/today/special/220527/
幼い市原隼人さんをたびたびルノアールにも連れて行ってくれたというお父さん。
若かりし頃は柔道や器械体操などもやっていたスポーツマンだったようです。
バイクやクルマ好きで知られる市原隼人さんですが、古いアメ車にもかなりの憧れが。
これはお父さんの影響も大きいそう。
メキシコとの国境に近いサンディエゴに、10数年暮らしたことがあるというお父さんが当時乗っていた車はフォード社のグラン・トリノ。
参照:https://www.gqjapan.jp/cars/article/20230321-hayato-ichihara-my-car-history-vol2
下の画像で、砂漠地帯にたたずむ若い青年は市原隼人さんのお父さん。
後ろに独特なボディラインのアメ車が見えますね。
そして顔にも、市原隼人さんの面影があります。
引用:https://www.instagram.com/p/CLGGgIHhTCQ/?img_index=3
お父さんとのドライブは、少年時代の市原隼人さんの大の楽しみでした。
時は流れ2018年、車いすバスケを題材としたスポーツドキュメンタリー映画『THE REBOUND』の上映イベントで、ゲストとして壇上に立った市原隼人さん。
映画の感想を述べるとともに、お父さんについてこんな話をしています。
ぼくの父親が車椅子を使っているんです。今では、もう自分で動かすこともできないんですが、一緒にご飯を食べていたときに、こんな姿になってすまないと何度も謝るんです
引用:https://www.tokyoheadline.com/416090/より
お父さんが障がいを負った原因について、事故なのかご病気なのか詳細は定かではありません。
でも、元気だったお父さんが車いす生活を余儀なくされている事に関して、市原隼人さんが心を痛めているのは様々な場での発言から汲みとれる気がします。
謝る必要など全然ない、カッコ悪いことでもない。
今まで通り堂々と地域社会で暮らし続けて欲しいと願っているようです。
もしそれで白い目で見られるとしたらそれは社会が間違っていると僕は思うんです。まだまだ、障がいのある人とどう関わったらいいか分からない人が多いけど、みんな待っているんです。垣根が無くなることを、引かれた線が薄くなることを、みんな待っている。
引用:https://www.tokyoheadline.com/416090/より
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市原隼人の母親
引用:https://www.instagram.com/p/CLGGgIHhTCQ/?img_index=2
こちらが市原隼人さんのお母さんです。
きれいな方ですね、市原隼人さんにそっくりです。
おそらく20代前半の頃かと思われます。
料理上手で、育ち盛りの時期には、とにかく何でもてんこ盛りに作って食べさせてくれたそう。
「ごはんさえお腹いっぱい食べさせておけば悪い事はしない」が信条だったようです。
カレーライスを例にとると、人参もジャガイモも皮を剥かずに大きく切ってポンポン鍋に放り込む式。
かなりおおざっぱですが、味は美味しかったとか。
大量に天ぷらを揚げた日は、息子にそれを持たせてご近所に配らせることもよくあったそう。
料理好きでも知られる市原隼人さんですが、小さい頃からお母さんが台所で遊ぶことを許してくれていたのもその一因のようです。
子どもの時から、キッチンが遊び場のようでした。食材も何も関係なくグチャグチャにして遊んでいていても、母親は怒りませんでしたね、「油の中で泳いでいたわよ」と言われたことも。(笑)
引用:https://fujinkoron.jp/articles/-/5731
小学5年でスカウトされた息子に「勉強をちゃんとできないのなら芸能活動はすぐに辞めること」と約束させたお母さん。
13歳で市原隼人さんが映画『リリイ・シュシュのすべて』に主演した際は、岩井俊二監督とメールで緊密に連絡を取り合って、息子のようすに常に気を配っていたそう。
実家にプロデューサーを招待して泊まらせたりと、初めての映画撮影現場がアットホームな雰囲気になるよう、お母さんを含め周囲のおとなたちはかなり気を遣っていたんですね。
2015年の主演映画『極道大戦争』の舞台挨拶で、いまだにお母さんからダメ出しを食らっていると明かした市原隼人さん。
「眉毛細いとなんか変だよ!太くしなさい!あんな腰パンなんかして!しっかり上げて!」
引用:https://mdpr.jp/cinema/detail/1482181
なんて注意されると語り、会場を笑わせていました。
2018年、映画『あいあい傘』の舞台あいさつで、「罪は恨んでも人は恨むな」とお母さんから教わったと話した市原隼人さん。
幼くして芸能界というオトナの世界に入り、成長期に不安定な精神状態を経験したこともある彼が、お母さんの言葉をかみしめるように観客に語りかける様子は、見ていて心を打たれるものがあります。
若いころは、「生意気」「やんちゃ」と言われることも多かった市原隼人さんですが、実はご両親の大きな愛を受けて、まっすぐに育った人だったようです。
市原隼人の姉
市原隼人さんのお姉さんは、3歳上という情報以外は顔も名前も公表されていません。
ここまで一切情報が出ないということは、年齢からもすでにご家庭をお持ちなのかもしれません。
お姉さんのプライバシーに配慮されているのでしょう。
市原隼人さんは、ご両親を“母ちゃん父ちゃん”呼びしていますから、姉ちゃんと呼んでいたのかな。
参照:https://www.cinematoday.jp/interview/A0001209
市原隼人の実家
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神奈川県川崎市がホームタウンの市原隼人さん。
タウン誌“かわさきツナガリ”のインタビューに答えて、地元の友人たちとのつながりを今も大切にしていると語っています。
僕は墓に入るまで川崎っ子だと思います。ありのままの背伸びをしなくていい、自分が帰る場所。いつまでも大切にしたい場所なんです。好きです、川崎。愛の街、です! (※)
※「好きです かわさき 愛の街」。川崎市民の歌。川崎市内を巡回するごみ収集車で作業中に流れている曲
引用:https://adv.tokyo-np.co.jp/today/special/220527/
背伸びせず、すっぴんの自分でいつでも帰れる場所。
市原隼人さんと地元・川崎は、ほど良い距離でつながっているようです。
まとめ:市原隼人の家族構成・父母兄弟姉妹について
- 市原隼人さんのお父さんはアメ車好きのスポーツマンでした。
- 市原隼人さんのお母さんは料理上手な下町の母ちゃんです。
- 市原隼人さんのお姉さんは謎のベールに包まれたままです。
- 市原隼人さんの実家は川崎の下町、近所づきあいの濃い地域でした。
見た目の印象そのまんま、市原隼人さんは地元川崎愛あふれる、気取らない兄ちゃんなんですね。
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